錦馬超を語るスレ 

bacho

1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/09(金) 20:07:58 ID:Qath1cTK0

馬超を語るスレです


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16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/18(日) 08:36:58 ID:NYjMDY+m0

三国志演義でもいつの間にか死んでたからな・・・
影が薄い。
対曹操戦で一瞬パッと輝いて消えていったという感じがしないでもない。


17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/20(火) 16:48:18 ID:QrR+HTZlO

吉川三国志の「彗星」という表現が好きだ


19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/04(日) 23:56:33 ID:X6vs+Uuq0

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E8%B6%85

馬超(176年 - 222年)は、中国三国時代の蜀漢の武将。字は孟起(もうき)。諡は威侯。扶風郡茂陵県
の人。

後漢の名将馬援の子孫。祖父は馬平(子碩)。父は馬騰。子は馬秋・馬承。娘は安平王劉理の妻となっ
ている。弟に馬休、馬鉄、従兄弟に馬岱がいる。馬騰は羌族との混血であり、この血を引いている馬超も
漢王朝の支配を受けない民族からの信望が厚かった。

『三国演義』では、その雄姿から「錦馬超」として称えられ、五虎大将軍の一人に選ばれたとされている。


経歴
若い頃から勇名をうたわれており、202年、司隷校尉鍾繇の要請を受け、部下の龐徳とともに、一万の兵
を率いて平康の郭援と高幹を討伐した。その際、足に矢を受け負傷したが、その足を袋に包んで尚戦い続
けたという。詔勅によって徐州刺史となり、後に諌議大夫に任命された。馬騰が入朝すると、偏将軍・都亭
侯に任命され、父親の軍勢を引き継いだ。


20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/04(日) 23:57:03 ID:X6vs+Uuq0

211年、馬超は時の朝廷の権力者曹操と敵対し、韓遂、楊秋、成宜、侯選、程銀、李堪、張横、梁興、馬
玩らあわせて十部隊らと共に兵を挙げ、十万の軍勢を率いて黄河、潼水の地に布陣した。このとき、蘭田
の少将劉雄鳴が馬超に従わず、彼に撃破されて曹操のもとへ逃亡している。曹操もまた夏侯淵・曹仁らを
率いて潼関にて馬超らと対峙した。緒戦、曹操が黄河の渡河を試みると、馬超は精鋭を率いて船団に猛攻
をかけ、曹操の軍勢は混乱し、曹操自身も命を落としかけるほどであった。その後も激しい攻防が続いたが、
途中、馬超・韓遂と曹操の間に会談が設けられた。馬超は己の武勇を頼みに会談の場で曹操を捕らえよう
としたが、護衛の許褚がいたため実行できなかった。最後は曹操の臣の賈詡の離間の策により韓遂と不和
になり、曹操に攻撃されて大敗北を喫し、西方の羌族の地に逃れた。この戦役の後、馬超の挙兵の責任を
問われ、父の馬騰と一族二百人あまりが皆殺しにあっている。曹操が引き上げようとしたとき、部下の楊阜
が、「馬超は韓信・黥布のような武勇を持ち、羌族に心服されているので、警戒を怠ってはなりませぬ」と進
言し、曹操ももっともだと答えたが、軍が既に引き上げを開始してしまっていたのでこの言を取り上げなかった。

212年、羌族の兵を集めて再び曹操軍を攻め、涼州刺史の韋康を殺害、冀城を根城にし、同州の他の城を
味方につけてみずから軍事総督と称した。さらに救援にやってきた夏侯淵を撃破し、氐族の千万・阿貴らを
味方につけてその勢力を盛り返す。しかし、韋康の復讐の為に挙兵した楊阜らの抵抗により冀城を奪われ、
漢中の張魯を頼って落ち延びていった。その後張魯に兵を借り、失地回復を試みたが、韋康の旧臣、趙昂
とその妻王異の抵抗に遭い勝利は得られなかった。また、張魯配下の楊白らに非難されるなど、張魯陣営
での立場も悪化した。そのため、214年、益州の劉璋を攻めていた劉備を頼って行った。劉備は馬超の来降
を聞くと、「私は益州を手に入れたぞ」と言って喜び、すぐさま督郵の 李恢を使者として迎えにやった。馬超
が劉備に帰順したという噂に恐れをなした劉璋は程なく降伏し、蜀は劉備の手中に入った。このとき馬超は、
平西将軍に任じられた。


21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/04(日) 23:57:46 ID:X6vs+Uuq0

その後は、彭 羕の劉備に対する讒言と謀反の意を上表したり、漢中攻略に従軍しているものの目だった
功績はあげていない。

劉備が漢中王になると左将軍・仮節に昇進し、 221年には驃騎将軍・涼州牧になるが、翌222年、47歳で
亡くなり、子の馬承が後を嗣いだ。馬秋は張魯の元に残してきたが、張魯が曹操に降伏すると曹操は改め
て張魯に引き渡し、張魯は馬秋を殺した。また没する間際、馬超は「臣の一門宗族二百人余りは、孟徳め
にあらかた誅殺されてしまい、ただ従弟馬岱だけが残りました。途絶えんとしている宗家の祭祀を継承させ
てください。深く陛下にお託しいたし、もう申し上げることはございません」とも上疏している。

260年、威侯の諡号を送られた。


逸話
『三国志』の彼の伝に引かれる『山陽公載記』では、馬超は劉備からの待遇が厚いのをいいことに常々
劉備を字を呼び捨てにしたため、関羽と張飛が怒り馬超を殺そうとしたという一文がある。しかし関羽は
当時荊州の守りについており、益州に行った事は無い。よって馬超と関羽が共に劉備の傍にいた事実は
考えられない。正史に対して注釈を入れた裴松之も本件については否定している。


22: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/04(日) 23:58:40 ID:X6vs+Uuq0

三国演義
『三国演義』では、初登場は長安を占拠した李カク一派と馬騰・韓遂が戦ったときである。弱冠17歳で
敵将の李蒙、王方を討ち取る活躍を見せたが、父の馬騰が敗れたため敗退している。演義においては
馬騰は曹操と対立する涼州の一勢力として描かれているため、高幹との戦いの際のエピソードは演義
においては採用されていない。

馬騰が曹操暗殺計画に加担していた為、後に謀略によって一族のほとんどを曹操に謀殺されてしまう。
涼州に留まっていたため難を逃れた馬超は、唯一生き残った従弟の馬岱と共に、復讐の為に兵を起こ
したとなっている。挙兵と一族の殺害の前後が演義においては正史と逆転している。

復讐戦で馬超は韓遂と連合軍を起こしたが、賈詡の離間の計によりで韓遂と決裂する。韓遂は曹操
軍に寝返り、馬超は敗走し、その後も挙兵するが敗れ、妻など残った一族をほぼ皆殺しにされる。

漢中の張魯の元に身を寄せて、劉璋への援軍として劉備軍と戦い、張飛と一騎打ちをしているが、こ
れは演義の創作である。この時に馬超は孔明の策によって、玄徳軍に降り、劉璋を脅し、劉璋は援軍
が来ない事を悟り、降伏したと記してある。

その後、馬超は五虎大将軍に任じられているが、蜀に身を寄せてからの馬超は精彩を欠き、西涼の
錦と言われた力は発揮出来なかった。

他に、劉禅即位後に魏の司馬懿の進言で曹丕が五つの道を使い蜀を攻めようとしたとき、その一つ、
北から攻めるはずだった羌族は守備する馬超を恐れ、攻め込まなかったという話があり、史実より延命
したことになっている。北伐の際、諸葛亮が馬超の墓を訪れる場面があることから、演義においてはこ
のときまでに(南蛮征伐の時期?)死去した設定と思われる。


31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/21(土) 10:26:25 ID:w/mvnHvj0

馬超は混血だったから羌族からの信望が厚かったと言うけれど、
やっぱり血筋は、無条件の信頼につながるものなのだろうか?


33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/24(火) 11:10:49 ID:ZYx+J5s+0

血筋の意味が違うだろ
例えば今後日本が中国に侵略されたとしてその統治者が100%漢民族よりは日本人とのクオーターのほうが少しは親近感わくだろ
というお話


40: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/24(木) 15:50:27 ID:q+c4H4C10

左将軍・仮節か。関羽が気にするのも無理はないな。


42: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/01(金) 20:06:05 ID:KZDCoYTj0

馬超好きやねん


43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/05(火) 23:11:57 ID:yj0Gt+qx0

蒼天航路32巻あたりの馬超の漢中戦での活躍ってほとんど創作?


44: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/06(水) 19:18:59 ID:Qx4uu2P00

演義じゃね? 路招や強端も斬ってるし


45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/07(木) 18:36:41 ID:xh5DKpTG0

蒼天は潼関で女性読者率が跳ね上がったらしいからなぁ


48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/10(日) 10:55:54 ID:D7Yet/CJ0

馬岱って族弟だろ? そんなに血縁濃くないんじゃないか。
とにかく何で彼だけ生き残れたのかも謎だな。
都に出仕せずに馬超と行動を共にしていたってだけか?


49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/12(火) 08:14:32 ID:1k4iGbcZ0

生き残れた事そのものより、なんで馬岱が都に行かなかったのかが気になる。


50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/12(火) 15:43:11 ID:wzpe1Ndp0

馬岱は馬超のお目付け役なのか、
それとも馬岱は素行が悪すぎて都に行かせるわけにはいかないとか
あるいは馬岱は西域の異民族の部族長と関連が強すぎて涼州から離れるわけにはいかなかったとか


51: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/12(火) 19:14:07 ID:hW/gzq2V0

>>50
素行とかさすがには関係無さそうだし、
最後一行の理由だったら、蜀の北伐時にもっと重用されてそうなんだぜ?

一軍の将兵として組織に組み込まれてたとか、そんな感じなのかな。
軍事に携わらない身内=馬騰と共に都へ
軍事に携わってる身内=馬超の傘下となって槐里に残る

漢中から劉備に降る際、重臣ホウ悳や、妾子供は置いていってるのに
馬岱だけは連れていってるっぽいあたり、
(妾や子供は、距離的に連れてくの無理ってのもありそうだけど)
それなりに親族としての仲は良好だったのかも。


52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/12(火) 19:51:38 ID:JJxV70KE0

ホウ悳が魏にいなかったら関羽の強襲ももう少し上手くいってたかな
個人的にはホウ悳嫌いなんだけど。


53: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/12(火) 20:17:59 ID:61YIGDNX0

関羽の強襲失敗は、魏側の配属武将が一人二人違うだけで
どうにかなる事柄じゃないような気がする。
関羽統括下の内部不和と呉側の動きの問題で、
ホウ悳がいようがいまいが、対局面での大きな影響は無いというか…

いや、ホウ悳好きだけど


54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/17(日) 09:42:41 ID:7/GY3HqO0

馬超って行政官の経験ある?


55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/18(月) 02:19:59 ID:LV1eQn7d0

>行政官の経験
徐州刺史の経験が数年と、
地方行政官に近い経験として、馬騰入朝後の独立軍閥の維持が数年と
入蜀後の臨沮の監督(「督臨沮」とあるだけで役職不明)が数年て所かな。

馬騰の下に居る間も、三輔~涼州の住民慰撫や外交的な仕事はしてるだろうけど、
そこらへんは想像に拠る所が大きいのでなんとも言えない。
入蜀後は行政に関わってた涼州牧は予約っつーか仮手形みたいなものだろうし
経歴ではあっても「経験」では無いので除外。


57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/30(土) 17:25:49 ID:RzaakgU70

馬超に付き従っていながら関羽と対峙した時は偉そうにしていたホウ徳よりも
保身のために積極的に曹操に取り入った閻行のが
好感が持てるんだよね。同じように感じる人はいない?


58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/01(日) 14:53:11 ID:UrbiRSSr0

韓遂の所業を見ると、閻行が曹操になびく気持ちは分かる。
でもホウ徳はなあ…
色々と悪いイメージが付きまとってるから、俺は色眼鏡を通してしか評価できそうにない。


66: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/14(火) 14:29:45 ID:ZnAJA4sr0

蒼天の場長って途中から地味になったよな


69: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/24(金) 12:16:19 ID:DrHwS8Ub0

>>66 でも路招、強端を討ち取ると
地味に戦果も挙げてるよ。

馬超が登場するまで進んだ漫画って少ないよな・・・


70: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/01(土) 17:37:04 ID:lhxvZ2XvO

馬超主人公の書物があるだけでも恵まれてる方ですよ


71: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/04(火) 15:15:48 ID:zdQPSnV70

何だかんだで30年近く暴れ回ったわけだからな。
一生戦って暮らすドラゴンボールみたいな人生だ。


96: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/27(水) 01:39:29 ID:X644n6vtO

>>71
ほほう


72: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/06(木) 18:16:31 ID:T9e1uTli0

韋康を殺したのって失策なんですかね?
敢えて言うなら、刃向かいそうな勢力を根こそぎ削いでおけば
良かったんじゃないかって気がするのですが。


75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/09(火) 05:04:30 ID:Qm0mCWly0

>>72
潼関後の馬超の再挙兵は、涼州~三輔付近一帯の兵力を吸収しないと
どうにもならんので、『刃向かいそうな勢力を根こそぎ削ぐ』は出来ないよ。

出来るだけ穏便に傘下として取り込むのがベターだろうから
韋康を殺したのは失策っちゃ失策だけど、
殺さなかったら上手くいったかというわけでも無いだろうし、
なんともいえないなぁ…


79: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/30(日) 15:01:22 ID:CPPOvHhb0

話しのネタもなくなるわな~。

正月休み利用して本読みたいので
皆さんの三国志オススメ小説とか教えてください。


81: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/30(日) 23:14:20 ID:bVbZxynEO

>>79
史実重視には勧めないが北方謙三の三国志。
馬超も斬新(過ぎ)だしこのスレ向きかと


80: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/30(日) 17:14:58 ID:YlWORLKEO

小ネタ

杉田智和はラジオでよく
自分を馬超 字を孟起だと自称している。


83: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/02(水) 17:29:31 ID:qWNNd5AOO

確かに北方三國志の馬超は斬新だな
張飛との友情、蜀を去った後も何気に劉備や孔明を気にしてるところが泣かせる


84: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/06(日) 00:57:47 ID:Wq2oS7cIO

年賀の挨拶に来た董チュウ(禾中)は馬超の妾の弟ということですけど、
三族皆殺しといえば、妾の縁に繋がる人達も殺されるはずなのに、
なぜ彼は挨拶に来れているのでしょうか

董氏の弟であるとしても、董氏は閻温に引き渡されているのに、その弟が来るというのは考えにくいと思う


85: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/09(水) 22:18:22 ID:oM+yysxT0

なんつーか呂布が生きてたらこんな感じだったのかなっていう人生だ
けっこう被る所があると思うんだよね


86: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/24(木) 12:05:36 ID:f2hYuBUl0

史実重視だと誰の小説がオヌヌメ?


87: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/24(木) 17:10:38 ID:WL+XOWH4O

とりあえず北方だけはやめとけ


88: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/24(木) 20:55:05 ID:TQcsNeoJ0

「これぞ史書重視」って言える三国志の小説や漫画ってあるのかなあ?


89: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/01/25(金) 20:05:41 ID:YGxxyhirO

それなら宮城谷三国志で決まりだろう
個人的には面白くてしょうがない


111: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/26(月) 14:04:12 ID:ftwbHUsSO

馬超の娘は307年の永嘉の乱があった時期に殺された。
夫の劉理は病死。後を継いだ子や子孫も早死に。

馬承については不明。


となんかの本で読んだのだが、もっと詳しい人よろしく。


112: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/26(月) 21:07:10 ID:xFWBpcLO0

劉理は244年、劉胤は256年、その子の劉承も翌年没。
それで劉胤の弟の劉輯が継いで、264年(蜀滅亡の翌年)に洛陽
に遷る。
劉胤、劉輯が馬氏の子なんぽかはわからん。結構な確立で
馬氏の子だとは思うんだけど…。
洛陽に遷ってるから、まぁ、もしかしたら劉姓でも馬氏の血続いてるかもな。
そして劉承死ぬの早い。怪しい…。


116: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/29(木) 01:32:08 ID:ViDsf5/n0

俺ここにしか貼ってねーし…まぁいいけど


117: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/31(土) 01:18:41 ID:5WnCYMV7O

一年以上たってもまだ100ちょいのレスか…
寂れたものだな


118: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/31(土) 21:32:09 ID:tJXYsDpw0

今までの流れだと保守レスで細々とつなぎつつ、
なんだかある時を境に盛り上がる感じだったけども…。
あんまりゲームとかの話もここしないしねぇ。


127: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/08(日) 13:40:35 ID:psJspNNDO

伝が短いのは関張黄趙と合わせたからかな?
親不孝が陳寿に嫌われたのかな?
他の四人は本人の伝だけで大体つかめるけど、馬超は魏志を読まないと
訳わからないのにな。


128: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/08(日) 20:16:21 ID:Og0Bp5YS0

蜀では影薄かったんじゃないか
馬超は蜀に降ってから一気に精彩欠くし


129: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/09(月) 05:22:09 ID:4gczgy1YO

代わって馬岱が活躍するようになったよね
馬岱もはやく馬超から離れたかったのかもしれん


130: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/09(月) 23:33:38 ID:1d35kJYN0

なんだそりゃ…離れたかったら好機会なのは入蜀前だろう。
馬岱もいい仕事してるのに記述信じられんほど少ないな。
それにしても蜀書は記述量本当に少ない…陳寿は蜀の人なのに。


133: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/10(火) 23:17:42 ID:BkqmcgrI0

>>130
蜀書の量が魏書より少なくなるのは仕方ないっしょ。
ちなみに成都陥落の際に記録書が消失したとかはありえないらしい。
ただ単に蜀にそういう歴史編纂の際に機能するような役職自体がなかったんだ。
それに馬超はまーだ記述には恵まれてる方だぞ…それ以上に少ない人物なんて
いるから…(泣。伝の陳寿総評だってまずまず評価されてるし、贅沢いわないw


131: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/10(火) 23:03:54 ID:XLa+jfWoO

地元びいきより、自分の萌えに忠実だったんだろう

馬超は名の通った武将ではあるけど、色々やらかしたせいで
民衆にはあまり受けが良くなかったらしいし


132: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/10(火) 23:09:04 ID:BkqmcgrI0

>>131そういう記述は馬超関連で見つけたことないな。是非文献教えてください!



134: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/16(月) 01:01:20 ID:q99dJDby0

真面目な感じになりそだったけどとまったから聞きますがー


噂のアレ国志に馬超て登場してる?


135: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/16(月) 07:22:39 ID:7Hd3pUq2O

…噂なのか?

まあ出てるけど。お米教祖と踊って改造されて脱出してアマゾン馬岱と再会した
というとこまで一巻で読んだけど、その後どうなったんだろう…


165: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/07/15(火) 21:51:20 ID:/I8xwvK3O

時々ふと「俺なんでこんな人好きなんだろう?」と思うことがある
もう自分でもよーわからんわ


166: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/07/16(水) 00:01:08 ID:Kh7ac2UN0

馬超は1回好きになるともうとことんな感じが汁
全体的に陰惨としてる内容のはずなのにところどころ
苛烈で華々しい雰囲気。
芯が折れそうで折れない、妙な不安定さも小説家に好かれそう
ではある。
正直自分の中の馬超像よう掴みきれないけどな。


167: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/07/16(水) 07:44:53 ID:YWWGC/ZAO

涼州を守るためには手段を選ばず立ち回るも、
最終的には家族も土地も失って自分の名声しか残らず、
最後にあの遺書から滲み出るもはや廃人状態の様な虚無感
こんなはずでは、と思っている馬超にとって、「親不孝者」という言葉は
さぞ耳が痛かったんじゃないだろうか


あと「抱かれたい三国志武将」ってスレで、馬超について長文語ってた人がいて
あんなに語れて羨ましいなと思った
そして少し感動して嫉妬したw


168: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/07/16(水) 20:23:36 ID:KoZCWx8q0

曹操ヲタだけど馬超もかなり好きだよ
一言で言い尽くせないところに惹かれる
曹操はきっと馬超を欲しかっただろうな


179: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/14(木) 15:12:49 ID:Y1dhmRKg0

結局、馬超って何で父親兄弟が都に居るのに反乱起こしたの?
あと演義読んだ後に正史読んだ人ってかなり馬超に衝撃受けたと思うんだけど


186: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/16(土) 05:44:51 ID:V8+DmSzqO

>>179
曹操が漢中に進軍したから(最初の漢中進軍は韓遂連合軍を一気に討伐するため。)


181: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/15(金) 00:13:16 ID:e8jk7DA+0

演義と正史での差って?
家族を殺されたのが先か後かって事くらい?
演義読んだ事ないんだけどさ


182: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/15(金) 00:52:02 ID:mX1AxZh90

家族を殺される理由じゃね?
正史だとほぼ馬超の反乱で殺されるみたいなもんだし


183: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/15(金) 02:59:22 ID:t/u3IdW6O

馬超に関しては正史からだったからなぁ。
家族が死ぬ理由で騒がれるのみてから
興味持ったというか。

でも正史も普通に悲劇じゃないんかね。

ハタから見れば正史でも演義でも暗い人だな。
本人がそう思ってたかは知らんが



188: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/18(月) 01:45:30 ID:m9V6TLuoO

敗走してるわりに評価が高いのはやっぱり戦の内容か。



189: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/19(火) 07:39:02 ID:adrsEVGN0

>>188
あと曹操の評価じゃない?
馬超が生きてたら首がつながってる気がしない みたいなやつ


190: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/19(火) 16:40:20 ID:G3iql+o1O

陳寿の評もまずまず良いしな。
満身創痍だったが、劉備の元で高位について
子孫残したし。
早死にしたけど…。


191: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/21(木) 10:53:09 ID:DzaIlhb50

馬承の家系って続いたのかな。
蜀末期に馬姓って・・・馬[貌+シンニョウ]!
まさか、江油城でヘタレを演じた馬バクは馬超か馬岱の
子孫だったり^^;

張飛の孫や黄権の息子や李恢の弟や孔明の息子・
孫は忠義をまっとうしたんだぞ。ま、まさか・・・ね^^;


193: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/22(金) 18:21:00 ID:Ug7dd8gk0

馬超の構想に怖れをなして
「馬家の小僧を生かしておいたら私には墓場を作る土地さえ無い」というコメントをしている。


196: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/19(金) 21:16:49 ID:T+gNZgWN0

宮城谷三国志の七巻に馬超いっぱい出てたよ
曹操を追いつめてた


197: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/23(火) 07:07:42 ID:3nDnGkI4O

>>196
読んでみたい。タイトル教えてください。


198: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/23(火) 12:03:11 ID:Z9iqnbBQ0

宮城谷、三国志、七巻 で書誌情報としては十分では


199: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/24(水) 03:04:57 ID:1dtdc0kDO

魏延を斬ってのち歴史から消えた馬岱だけど
子孫は四川に存続していたらしい
1400年後の張献忠の乱の時
地元の義民を率いた馬京、馬亭兄弟が馬岱の末裔だという


200: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/24(水) 11:36:56 ID:SmSN3UEC0

これか
http://blog.stnn.cc/StBlogPageMain/Efp_BlogLogKan.aspx?cBlogLog=1000931967

黎州宣慰司馬京及弟亭,起兵討賊。初,賊以蜀人易制,惟黎雅間土司難於驟服,
用降人為招誘,鑄金印齎之,易其章。馬京者,漢將馬岱後也

清史稿でも四川の土司の話で黎州土百戸,漢馬岱後とかいってるけどホンマかいな


259: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/27(火) 16:23:32 ID:ZAywGI7t0

扶風県郷土志ならうちの学校にあるよ。明日見てくるが>>200なんかと同じで
三国の頃に分らなかったものが清代にポッと出てくる理由まで探らんといかんと思う
そこまでする気はないからとりあえず扶風県郷土志の中身を確認するだけだがね


201: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/29(月) 02:46:12 ID:iWB+Z6aGO

馬家の祭祀託されたしな。
本当に子孫残したならえらいぞ岱


234: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/12(水) 03:27:31 ID:VJ/Lz5is0

劉備配下にならなかったら、馬超の評価や印象も随分変わりそうだ。
色んな意味で乱暴過ぎる。


243: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/18(木) 14:05:42 ID:xhlsQxlJO

>>234
馬騰のように粗野な熊男って印象で終わってただろうな


235: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/14(金) 23:28:52 ID:TvkoIMVAO

光栄の三国志5武将ファイルで実吉達郎氏に水滸伝の花和尚魯智深や行者
武松に比較されていたな。
イケイケの武闘派だね。
演義ではそれでいて張飛のような熊男じゃなくて、美男子だというのが
面白い。
馬超は先祖の伏波将軍馬援が絵に描いたような美男子だったということで
「錦馬超」になったんだろうな。


236: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/19(水) 12:26:10 ID:husXozjaO

よく騎兵を大量に擁していたように言われるが、実際のところどうだったのだろう?
二世紀の涼州の環境から推測される事実に近い想像なんだろうか。


237: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/19(水) 21:18:22 ID:VGaInXDL0

鍾?がそのあたりの名産である馬を曹操に贈ってるね。


238: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/19(水) 21:19:33 ID:VGaInXDL0

おっと鍾ヨウね


239: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/19(水) 22:21:09 ID:husXozjaO

>>237-238
サンクス


馬超に同調したテイ族の王の名前は出てくるのに、羌族の人物の名前が
出てこないのは羌族が馬超の軍隊の主力に組み込まれていたからだろうか?


240: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/21(金) 23:45:46 ID:h7PwrneJ0

というより馬超自身が羌族の代表格だったのでは?
馬超って羌族の血のほうが濃いんでしょ


241: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/22(土) 08:27:48 ID:+IxQFiR9O

おばあさんだけ羌族。漢族の血の方が濃いよ。


244: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/18(木) 17:28:58 ID:zh5cZDCoO

馬騰は熊男じゃないぞ。
ルックスも立派だし、人望もあった。
賢人を大切にして政治もしっかりしていた。
韓遂が活動した土地こそ荒れ果てていたという。


245: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/19(金) 01:35:34 ID:Mqru8xrgO

どれだけの人にわかってもらえるかわからないけど
ワギャンランドのシリトリで「馬超」で解答することができたよ


246: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/21(日) 18:19:23 ID:s74Uq8cQO

馬承はともかく、劉理に嫁いだ娘も養子なんだろうか


247: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/21(日) 19:23:39 ID:e5gqbaRJ0

>>246
なんでそう思うの?


248: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/25(木) 18:53:46 ID:yYz4AGo+O

馬岱は実績からいえば取るに足らない男だが、馬超の遺言から判断するに
蜀に降伏してからの敗走後に馬超の軍団、もしくは馬一族の中では重きを
なしていたのだろうな。


249: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/26(金) 03:21:11 ID:42vJB5cKO

そうだろうね。まぁ本当に字すらわからない程記述の無い
人だから想像するしかないけど…。
馬超の子供は幼児だし馬岱しか。
降ってからの馬氏(ってか馬超なんだろうけど)の微妙
な立ち位置とか近くにいたならわかってただろうし。


257: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/26(月) 23:11:46 ID:5HNUdvCHO

>>249
亀レスだけど、
馬岱の字は伯瞻(はくせん)だったはず


250: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/28(日) 17:09:49 ID:RuWJOjC/O

馬超の遺言で馬岱に跡を継がさせてくれというのは、劉備の遺言の
「君、自らとるべし」
と同じような意味合いがあったんじゃないだろうか。


251: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/29(月) 23:57:04 ID:g+4uIIZoO

死後に馬岱や劉備など周りの者の働きで、
馬超に養子を迎えて継がせたのかも知れんね

…まあ、本当に馬岱しかいなかったのかも


252: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/10(土) 20:58:46 ID:aksgVCsJO

馬超好きだからこそ思うんだが、楊阜や孔明が言うように韓信、彭越、鯨布のような漢初の超一流
武将と比べられるような才覚の持ち主かな?
楊阜は自分たちを田単と比較しているような人間ではあるが…。
せいぜいが中国史には腐るほどいる田舎軍閥の親分で、自称征西将軍。
袁術のように皇帝を僭称したわけでもない。
取り柄は戦争だけ。そこそこ強いとはいえ、件の三人ほどじゃない。
劉備政権下では五虎将の中でもずば抜けた実力(蜀将としての実績はともかく)の持ち主であった
ことは確かだが。


253: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/15(木) 05:02:41 ID:j5Rrl83xO

それらの人物を例に挙げたのは、馬超の武勇に関してじゃないのか?


254: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/18(日) 10:27:20 ID:6leef8NJO

関羽は自らの武勇を頼んでしばしば兵を失った。馬超も猪武者みたいに思われがちだが、戦機を
見抜くことに長けていて勝てる戦争しかしなかった(なのに最終的には負けた…)。
残念なのは本人の能力は突出していたのに股肱の臣がいなかったこと。
劉備はどんなに落ちぶれても関羽、張飛、趙雲、簡ヨウ、孫乾、糜竺、糜芳がついてきた。
馬超はホウ徳に途中で見限られてしまう。
呉蘭、雷銅が実は元から馬超配下だったとしても馬岱と同じく戦争に負けたというエピソードしか
残っていない人物。
やはり器の違いというものだろうか。


255: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/18(日) 16:06:23 ID:8/HEX7gN0

そうやって持ち上げて、働いてもらわんとこまるからな。


256: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/26(月) 20:13:32 ID:n/lG5Z/zO

梁興のシ童関の戦いでの行動は馬超の戦略にかなっている。
最後まで抵抗していたこともあるし、かなりの程度馬超と気脈を通じて
いたと見るべきだろうね。

後に馬超に背いた梁寛とは血縁関係があったのだろうか。


258: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/27(火) 15:58:00 ID:7tTX6l3lO

http://batai.koyuki000.soragoto.net/


これか。調べようがないからルーツ君なのか正しいのか判断できない…。


260: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/28(水) 21:36:11 ID:bw6r/GP6O

なんか三戦板に「馬超は何故父親を殺したのか」っつー
スレ立ってた。未だにループネタでスレ立つとはな。


261: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/28(水) 23:52:58 ID:KkLuBF8B0

確かに扶風県郷土志の巻4・耆旧篇に「馬岱字伯瞻」と書いてあった
ただ、光緒32年刊の郷土志に先立つ嘉慶23年刊の扶風県志に巻11・人物って篇があって
郷土志・耆旧篇と同じように扶風ゆかりの人物の略伝を載せてる
で班固・班超や馬援からはじまる馬氏や耿況以降の耿氏やらを並べる順番はまったく同じ、
字句もほとんど同じで郷土志が県志をコピペしたと推測されるが
県志には馬岱の字は書いてない

県志の撰者が馬岱の字を知りながら敢えて書かなかったか
嘉慶年間にはまだ馬岱の字についての資料がなかったかのどっちかという事だよね
前者なら信ずるに足りないと判断されたように思われるし
後者なら清末にいきなり馬岱の字についての資料が出て来た事になる
「馬岱字伯瞻」てのを積極的に覆すものもないんだが根拠としては弱いだろう

>>260
三戦も中英もループ進行がデフォ


265: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/29(木) 12:26:50 ID:vsVuu4luO

>>261
乙です。

中国では父方の従兄弟も兄弟に数えるわけだから、馬超の「孟」起と
馬岱の「伯」瞻は両立するのだろうか?
馬岱が母方の従兄弟だという可能性もあるし、夏侯衡は字が「伯」権
らしいのに(?)、従兄弟の夏侯尚は「伯」仁だから両立する可能性も
考えられる。
第一夏侯尚自体が父方は母方の従兄弟かどちらかわかっていないわけだが。
高級な家柄だと父方の従兄弟でも字は兄弟としてつけないのかな?

詳しい人がいたら教えてください。


>>262
武装蜂起を持ちかけたのは馬超だよ。
「もう東の人間は信用できません。私は父を捨てあなたを父とするので
 あなたも子を見殺しにして私を子としてください」
張既伝か鐘ヨウ伝の注釈にこうあったはず。


262: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/29(木) 00:07:31 ID:iB0XYZIj0

>>260
馬騰は韓遂が殺したようなもんだと思うがね
韓遂の経歴見ると自分がサブになって御輿盛り上げる手法をとり続けてるわけだけど
馬超の場合もそれだろ?


263: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/29(木) 08:50:20 ID:dTVCl47H0

なるほど
韓遂「馬超坊ちゃん、今こそ挙兵して曹操に一泡吹かせるべき時ですぞ!」
馬超「ようしいっちょやったるかー」

馬騰曹操に殺される

馬超「おいおいおい親父が死んだぞ!!」

って感じか


264: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/29(木) 09:11:11 ID:pV3PDw5+0

馬謄は馬超らの蜂起を知れば身の危険も即座に感じただろうが
その場合、逃亡する選択肢は無かったのかな?


266: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/29(木) 12:57:29 ID:iB0XYZIj0

魏略にそう書いてあるからって信用できるかね?
魏略では馬超を不孝の人としたい立場からそう書いてるだけでは?


267: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/29(木) 22:00:10 ID:7QzvkveD0

「天下を為す者家を顧みず」という言葉がある
項伯が劉邦について人質作戦が無意味だと項羽に語った言葉

徐州に父がいても陶謙と戦った曹操と同じで、天下を争う覚悟の者は親でも捨てる


268: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/29(木) 23:00:46 ID:5SNvsbO0O

いや、さすがに自分が挙兵すれば
都にいる家族がどうなるかぐらい馬超だって分かってただろう


269: 265 2009/01/29(木) 23:23:45 ID:vsVuu4luO

中国では母方の従兄弟は名字が違うんだよな。
同姓結婚もまたない。
となると父方の従兄弟同士で字に「伯」か「孟」がつくやつがいれば馬岱
の字が伯瞻である可能性も出てくるわけか。


270: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/30(金) 00:09:04 ID:XGuRETeGO

同姓結婚はしないってのは、後漢時代からすでにそうだったんか?


271: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/30(金) 01:27:12 ID:qJ99Qvc00

礼記の頃から「取妻不取同姓」といわれてるし、後漢に近い時代だと
儒教的価値観からいちばん縁遠そうな嵆康ですら「同姓不昏」と書いてるよ
それでも馬岱の字を確定するにはまだまだ遠いと思うけどね

くどいようだが三国の頃からずっと知られなかった物事が
はるか後世にいきなり「判明」するのは何でなんだろう
孔明の子供で諸葛懐だの諸葛果だのが清代の文献に出てくるのも然り


401: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/21(金) 03:33:19.94 ID:0mGPsDix0

戦に巻けたら逃げて、新たに統治体制作った頃に戻って来て殺戮を行った末、
裏切られて遁走し、また戦を仕掛けては逃げ帰るというカッコ悪さ

劉備軍に加わって成都を震え上がらせたらしいが、殺人犯が引っ越して来たら
誰でも怖がるに決まってる
漢中平定からは特に目立つ事も無く、いつの間にか逝去
落ち延びて子供残した事を、史家に誉められたガッカリ虐殺魔


402: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/21(金) 11:18:03.27 ID:pMkaEobz0

常人なら生き延びれんぜ


403: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/21(金) 23:23:25.20 ID:0mGPsDix0

>>402
全部一人でやったならスゴイが、助けてくれる人いっぱいいただろ
切り捨てて行ったけど


404: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/22(土) 05:03:48.52 ID:i2TzMTiQ0

助けた連中も思惑や狙いが有って付き従っていたんだがな


405: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/22(土) 20:51:10.51 ID:eTVXr6600

新たに統治体制を作った頃といっても親曹操派が篭るキ城以外は再び馬超についてほぼ全てがひっくりかえっちゃってるわけで
全然統治しきれてないがな。
ドウ関で最強戦力ともいえる布陣でズタボロにした相手を討伐するどころか、その勢いで逆に撃破されて撤退してるし、
韓遂も途中で寿命でおっちんだが数万の兵力を率いて再度攻勢にでてるし、統治体制もクソもできてないだろ。
力で抑えつけに入っただけ


406: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/24(月) 02:11:12.51 ID:oiJx2fSS0

>>405
後からノコノコ出てきたせいで余計に荒れたんだろ。そりゃ大多数の涼州人からしたら侵略者・新参の曹操より馬超を支持するに決まってる
曹操を追い出して善政をしいた、とでもいうならともかく、実際にゃそんなこと全然なかった
無駄に騒がして結局は駆逐されただけ。目先の勝敗のみで時勢が見えてない


407: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/24(月) 11:42:08.35 ID:/RXWo3Hg0

キ城に篭る親曹操派の頼みは討伐軍だったわけで曹操勢力が入ってなければ少なくとも内紛はなかった。
その後の善政はわずかな期間で謀略により本拠を失って流浪してるから分からんが、
勢力を引き継いでからの統治能力というのならそれほど悪くない。
ドウ関大敗後、父を誅殺されれも尚韓遂以上の速さで立ち直る求心力や、
危機に陥っても必ず潜伏先で守られるのだから、
人望の無い人間なら最前線で単独で戦い続けることは出来んよ。


408: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/24(月) 12:17:13.90 ID:/RXWo3Hg0

単独というのは言い過ぎたかな、一応張魯の支援もあったわけだから。
苛酷な状況で命を失わず戦い続けたのはそれなりにすごいこと。

豪傑張飛でも遠征準備中、前線から遠く離れ交戦前の安泰の中で
部下の心を失って殺されて呉への土産にされたのだからね。


409: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/24(月) 22:08:47.69 ID:DLCa1t8G0

>>408
人望だけはあったので、何か勘違いしたみたいだな
そりゃ、曹操の勢力が入らなければ涼州軍閥の天下だろうけどw
内通者を殺し、逆に生かした連中に裏切られた点は、先見性や判断力が
低い事を物語っていると思う
善政を敷いたかも疑問だし、馬超に確固たる統治戦略なんてないだろ
張魯頼みで侵攻して、その後の統治をどうするつもりだったんだ
反曹と涼州の情弱による人望に寄り掛かって、殺しの味を覚えただけ


410: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/24(月) 23:47:45.00 ID:/RXWo3Hg0

悪政を敷いていたならば韓遂以上の求心力は得られないと思うが・・。
敗戦し連合は瓦解し父も誅殺された状況で再度涼州で台頭できたのは馬超自身の力があってこそだろう。
韓遂も遅れて立ち直りはしたが馬超のように涼州をひっくりかえしたわけではないしな。
先見性においては疑いはしていたのでその事柄で否定されるものではないな。
曹操に靡かなかったという点では見る人によればあるのかもしれないが、
靡かない馬超が韓遂を説得し結成した10万の連合といえば赤壁の孫 劉連合より大きな規模であるから、
相手がさらに大軍といえど勝算が無いわけでもなく、
靡いていれば果たしてそれだけの事が出来たのかといえばまた疑問。
妻を信じ謀略にかけられたのは判断力によるものだろう。

生かした楊阜は馬超の力を認めており、馬超もまた疑いつつも戦力として楊阜 趙昂らを欲した。
その後の楊阜 趙昂を見るに人物眼は確かだわな。


411: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/25(火) 14:07:02.99 ID:arJ4u8eS0

趙昂らがいた訳だし、馬超が来たから政治が大きく変わったとは考え難い
特に馬超支配の善悪が記されていない辺り、今までの統治路線のままだったか、
大きな変化を見せる前に敗走したか
馬超の再起は、涼州にある反曹の受け皿としての役割が大きいと思う
この時点で、人物は馬超と韓遂くらいだったから支持が集まるのも当然だろう
楊阜と趙昂については、逆に彼らに代わる人材が馬超側にいたのかが疑問
そもそも、彼らが統治に派遣されている時点で能力的な裏付けはある
馬超の人物眼を問うなら、結局裏切られた事を問うべき

ドウ関の馬超については、曹操に対した事が愚かだとは思わない
先見性以前に、涼州軍閥の存亡にも関わっていたので必然性のある蜂起


412: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/04(金) 13:35:22.09 ID:vT53XqPW0

長安は馬超が乱を起こす10年以上前から曹操の支配下で鍾ヨウが軍事 内政でかなりの権限を与えられて統治してる。
官渡の戦いですら長安から支援物資をおくってるから馬超の乱の時には相当の軍事拠点になってたはずである。
裏づけとして馬騰と韓遂の戦をとめるほどの影響力を持ち、ヘイ州軍とも鍾ヨウ自ら戦い、(後に馬超が救援)
洛陽に関中の住民を移住させるというような強引な政策から完全に力で支配してるといえると思う。

武帝紀本文によると乱の直前張魯討伐に夏侯淵らを合流させたとあるが、
張魯は健在だから討伐はできてないわけで実際に人質要求などから行動を起こす直前の段階であったといえるよね。
それが乱自体で馬超は長安より東の潼関で布陣して戦ってたわけで、
その長安をどういう経緯か突破してるんだが、長安と鍾ヨウ 夏侯淵らがどうなったのか誰かしらんか?
戦って逃げたのか単に逃げたのか、いずれにしろ陥落してるわけだが、触れられてなさすぎな気がする
曹操軍に5桁の被害が出たらしいが、その割には馬超の万余の歩騎での特攻くらいしか記述されていないしさ。
賊だから記録が無いということか?


413: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/06(日) 23:03:29.39 ID:cXN9DL9S0

>>412
官渡戦で送った馬は、西涼に近い地の利から急いで掻き集めたと思われる。
強引な政策が通ったのは、中原勢力が背後にあったからだろう。
馬超達が特筆すべき戦も無く抜けた事も、長安が軍事拠点では無い可能性を示唆している。

張魯討伐で夏侯淵らを合流させた事で、関中軍閥がビビって乱を起こした。
本気で張魯を討伐する気は無く、馬超達の力を削ぐ目的があったらしい。
夏侯淵は楊秋を降伏させるなどして、曹操本軍に合流。
鍾ヨウも人質要求をしたりしていたので、長安に留まっていたとは考え難い。
曹操軍に5桁の被害が出たのは、馬超の乱によって。


414: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/07(月) 15:41:00.97 ID:6juYH73O0

鍾ヨウとしては、涼州軍の軍事力を早めに抑えておきたかったらしいな
長安にいたから、そりゃ怖かっただろうけど
張魯討伐の名目で馬超に人質要求したり、少し性急過ぎて乱を招いた感は強い


415: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/13(日) 03:46:38.69 ID:pYKD/mkv0

馬超や韓遂に対してならすでに人質取ってるのにさらに人質を要求して
どうするつもりだったんだろう?


416: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/20(日) 21:44:12.28 ID:iGbd+BM30

馬騰らを人質にしても軍閥は健在だし、主要人物を少しずつ除いて弱体化させる
予定だったんじゃないかね
何か要求する訳じゃなく、人質にする事自体が狙いという感じ


425: 名無しさん@お腹いっぱい。 2014/01/19(日) 18:56:16.93 ID:JKydEW020

馬騰は馬超が曹操に敵対する立場にあったこともいずれ挙兵することも分かっていたはずだろうに、
なぜ曹操の招きにホイホイ乗ったんだろう。実際の入朝は何度か渋ってたようだが。
もっと馬一族が一丸となってれば燃える展開だったのになあと残念に思う。
馬超の行動は分かるが、馬騰の行動が分からない。



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